教えのやさしい解説

大白法 449号
 
如説修行(にょせつしゅぎょう)
 如説修行とは、「説の如く修行す」と読みます。仏の説かれた教えのとおりに仏道修行することです。
 如説修行は、法華経の『神力品(じんりきほん)』『陀羅尼品(だらにほん)』『薬王品(やくおうぼん)』『勧発品(かんぽつほん)』などの各所に説かれており、そこには法華経の行相(ぎょうそう)が説き明かされています。
 法華経に説かれている如説修行とは、『神力品』に、
 「是の故に汝等(なんじら)如来の滅後に於いて、応当(まさ)に一心に受持、読、誦、解説、書写し、説の如く修行すべし」(開結 五八一n)
とあるように、受持等の五種の妙行を説の如く修行することをいいます。
 釈尊在世や正像(しょうぞう)の時代では、摂受(しょうじゅ)を面として修行し教化する時であったので、仏の教説にしたがって広く五種の妙行を修めて利益を得ることができました。
 しかし、末法においては、日蓮大聖人が、『御義口伝』に、
 「此の妙法等の五字を末法白法隠没(びゃくほうおんもつ)の時、上行(じょうぎょう)菩薩御出世有って五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏すべし」(平成新編御書 一七九五n)
と仰せのように、五種の修行を一々に行ずるのではなく、御本尊受持の一行に五種の妙行の総(すべ)てを括(くく)った総体の受持によって、仏道を成ずることができるのです。また、『如説修行抄』に、
 「其の上真実の法華経の如説修行の行者の弟子檀那とならんには三類の敵人決定せり。されば此の経を聴聞し始めん日より思ひ定むべし、況滅度後(きょうめつどご)の大難の三類甚だしかるべし」(平成新編御書 六七〇n)
とあるように、御本尊受持の上に、相手を破折し屈服させる折伏行をもって末法の如説修行とするのです。
 総本山第二十六世日寛(にちかん)上人は、『如説修行抄筆記』に、在世滅後に通じる如説修行の意義を、人法相対・師弟相対・自行化他の三つの意義を挙げて御指南されています。
 先ず、末法における如説修行の人法相対の意義とは、大聖人の説かれた「法」のすべてが「如説」であり、その根本の法体は本門戒壇の大御本尊です。そして大聖人の仏法を信じ行ずる「人」である日蓮正宗の僧俗が「修行」の意に当たります。つまり、ここでは、説かれた法の如く、人が正しく修行することを教示されているのです。
 次の師弟相対の意義とは、下種の教法を説かれる大聖人が「師」であり「如説」に配され、大聖人の教えに従って修行する「弟子檀那」が「修行」の意に当たります。師たる大聖人の教義を、弟子である私たちは正しく信解(しんげ)し、仏道に精進することを如説修行の意義とするのです。今日では、唯授一人(ゆいじゅいちにん)の御相伝を受けられた御法主上人の御指南に信伏随従していくことがこの意義に当たります。
 そして最後に自行化他の意義とは、広宣流布の大願を起こして折伏行に精進していく「化他」が「如説」であり、日々の「自行」である勤行が「修行」の意に当たります。自行化他の信心修行こそが真の如説修行なのです。
 このように、如説修行には深い意義があります。私たちは、真の如説修行の行者たる自覚のもと、さらに精進していきましょう。